今から1週間前。
父がカラダの服を脱いで
光の世界へと旅立った。
昨年の10月。
余命3ヶ月の宣告を受けてから
この日がくるってことはわかっていた。
だからこの数カ月間は
夫婦、親娘にとっても貴重な時間となった。
自分らしく生きてほしい。
これが私達の望みだったし
それを全うした父でもあった。
本当に人に恵まれて
手厚い診療と看護、お世話をして頂けたことにも感謝だし
運良く個室だったこともあり、
この状況下でも毎日入れ替わり立ち替わり
家族が付きそうことができたのはとてもありがたかった。
亡くなる前日だけは
ものすごく苦しんだ。
最後の最後まで生と死と向き合っていたのだろう。
それでも最期は とても穏やかに、そして静かに旅立った。
今までで私が見た中で
一番穏やかで
とてもいい顔だった。
悔いのない、いい人生だったのだろうと思う。
肉体はなくなったが、
不思議なことに存在は感じる。今まで以上に。
カラダという、とても小さな器から解き放たれ
大自由を満喫しているのかもしれない。
あるとないは同時に存在するのだ、と
頭では知っていたが、今はそれを実感している。
父を想う時
なんともいえない感情が湧き上がってくる。
ふとした瞬間に涙は出てくるも
それは寂しいのか悲しいのか、愛しいのか恋しいのか・・・。
その正体はわからないがそれこそが
これまで感じたことがなかった、血の繋がりというものなのかもしれない。
想い出というものは美化されるというが
それは本当だ。
元気なときは父とのことを全く思い出すこともなかったが。
今はただただ、それを味わい
内側から溢れてきたものに身を委ねている。
この時間も
最後に父が残してくれたギフトだな、とそう感じている。
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コロナ禍ということもあり
家族葬にて葬儀を終えました。
事後となりましたが、
この場をかりてご報告させていただきます。
父のためにお花やお心遣いをくださった友人の皆様。
様々な予定やセッションを延期していただいたクライアント様、
そして仕事関係の皆様。
お時間をいただき、ありがとうございました。
また今後とも宜しくお願いいたします。
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