ここではないどこかへ

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あしながおじさんを待っている私。
誰かがどこかに連れて行ってくれるのを待っている。
それは誰でもよかった。
ここではないどこかへ連れて行ってくれる人ならば。

 

あしながおじさんは私の元に訪れなかった。
だから私は自分で行くしかないのだ、と思った。

 

ここではないどこかへ
ここではないどこかへ。

 

でも、ここではないどこかへって
一体どこなんだろう?

 

今の環境を離れられる場所ならば
今の状況を離れられる場所ならば
今の感情から離れられる場所ならば

 

どこでもよかった。

 

手っ取り早いのは物語の世界だ。

 

物語の主人公と
自分を重ね合わせると

束の間の異世界、
つまりここではないどこかへと
すぐに飛んでいくことができた。

 

物語の中に没頭できればできるほどよかった。
それは間違いなく、ここではないどこか、だった。

 

テレビドラマや映画の世界でもよかった。
その主人公の人生と自分を重ね合わせられるほど
臨場感を持って没頭できる映画はよかった。

 

 

学生の頃も
雇われている時もよかった。

 

常に何かをしなければならない状態がやってくる。
それに没頭していればよかった。

 

自分が何も考えなくても
目の前のことをこなしさえすれば誰も文句は言わない。

逆に目の前に差し出された何か、をうまくやらなければ
ここではないどこかへ、には行けない。
だから頑張れた。

 

雇われるのをやめた時、
ようやく自由を手に入れた、と思った。

 

その自由は
やりたいことを全てやれる自由で意気揚々としていた。
根本は全く変わっていないことに気づきもせずに。

 

それからの私は
片っ端からやりたい!と思ったことはやってみた。

 

ここではないどこかへ
未知の世界へと誘ってくれそうなものが目の前にやってきたら
すぐに飛びついた。

 

成長させるための学びなんかは最高だった。
旅もまた、同じだった。

 

知らない世界を知る。
知らない誰かと知り合う。
やったことのないことにチャレンジする。
未知の自分に出会う。
気づきを得る。

 

何か新しいことをやることが
ここではないどこかへと行ける切符なのだ。

 

あしながおじさんは来なかったが
目の前に現れる人、
私をここではないどこかへと連れて行ってくれそうな人は
度々顕れた。
そしてその人について行く。

 

ここではないどこかへ
私を連れ出してくれそうだったからだ。

 

お金を払えば
ここではないどこかへと連れて行ってくれそうだった。

 

だから
色々な学びにお金を払った。
一体、いくら払ったのか。
払えば払うほど、祓われるはずだったが
それも束の間だった。

 

ここではないどこか、の
”どこか”は永久に顕れない。

 

いま、ここしかない世界において
それは白昼夢にすぎない。

 

私はどこに行きたいのだろう。
あしながおじさんに連れて行ってもらいたかった場所は
一体どこだったのだろう。

 

 

あの頃から成長した私は
あの場所にはいないのだけれども
小さなあの子はまだあの場所にとどまったままだ。

 

膝を抱えながら
今日も待っている。

 

ここではないどこかへと
連れて行ってくれるあしながおじさんを。

 

あの子の隣にいって座ってみた。
顔もあげやしない。
ただただ膝におでこをつけて座ってる。

 

私もその子の隣で
ただただ座っている。

 

どこに行きたいの?

 

問いかけて、待っている。
答えが出なくてもいい。
ずっと待っている。

 

「ここではないどこか」
ポツリ、とこ溢れた言葉に

 

「あぁ、そうだったんだね。
ここではないどこかに行きたかったんだね。」

 

ようやく、その小さな子が欲しかったものが見つかった。

 

 

その子がそう思った起因は
毎日母親からかけられた言葉だ。

 

お姉ちゃんなんだから。
我慢しなさい。
手伝いなさい。
あれ、やりなさい。
これはやっちゃ駄目。
あんな子と付き合うんじゃないよ。
まだやってないの?
言うことをきかない子はお仕置きだよ。

 

小さな子が毎日かけられる言葉に
どれだけ傷ついてきたのか

 

弟と妹に対する態度と
厳しい態度でいつも怒られている自分とを比べて

 

喉元にぐぐーっとあがってくる
重くて熱い、黒い物体を感じながら
どうにかこうにか目に溜めた涙を溢れないようにと
我慢しているあの子。

 

あんたは橋の下から拾ってきたんだからね!

 

ある時言われたその言葉は
ショックではあったが、
妙に合点がいった。

 

あぁ、だから弟や妹と違う扱いだったんだ・・・。

 

何気なく、使われた言葉が
真実なのだ、と思い込むくらい
あの子は傷ついていた。

 

それくらい惨めで、悲しくて寂しい子どもだった。

 

ふと、昔読んだあしながおじさんを思い出した。

 

あぁ、そうか。
きっと私にも
あしながおじさんが迎えに来てくれるに違いない。

 

ごめんね、待たせたね。
本当の家に帰ろう。

 

その言葉を言いながら
手を差し出してくれる本当のお父さんが
あらわれるのを信じてた。

 

何日も何日も
何ヶ月も何年も待っていた。

 

特に、お仕置きされた夜には
布団をかぶりながら

迎えに来てくれて
本当はお金持ちの子どもで
優しいお母さんとお父さんに微笑まれて
何不自由なく暮らしている姿を
何度も何度も頭の中でイメージしてた。

 

でも、現実は
あしながおじさんは来なかった。

 

やっぱりここの家の子どもだったんだ。
あれは物語のお話だったんだ、と諦めた。

 

早く、大人になりたい。
早く、この家から出たい。

 

ここではないどこかへ。

 

どこでもいいから
ここではないどこかへ行きたい。

 

でも、小さなあの子は
1人では生きていけない。
だから今日も我慢する。

 

物語の世界に入っている時だけ
ここではないどこか、に行くことができたから
今日も物語の世界に入っていく。

 

早く、連れ出して。
早く、迎えに来て、と

 

電気もつけない暗い部屋で
あの子は膝を抱えて俯きながら待っている。

 

 

*****

それを見た時、胸の震えだけでなく
足元からの振動を感じた。
しばらく涙は止まらなかった。
泣いて泣いて泣いて、泣いた。

 

このシーンは何度かみたことがある。

 

でも
ここではないどこかへ連れて行って欲しいという
あの子の本当の願いまではわからなかった。

 

ここではないどこかへ行きたい、という欲求は
どうしても手に入れたい渇望なのだ、と気付く。

 

その”どこか”はどこなのか。

 

行きたい場所はどこなのか。
何が手に入れたいのか。

 

あの子に聞いてみた。
自分に聞いてみた。

しばらくすると答えが湧き上がった。

 

今、ここが楽しいところ。

 

言葉にするとカンタンだった。

 

でも多分、
本当に欲しいもの。

 

今、ここが楽しい。

 

 

ここではないどこか、とは

【今、ここが楽しい】という世界だった。