突如顕れしもの

私の世界に突如顕れたものがある。

それは能楽。

 

能楽とは
能と狂言からなる日本の伝統芸能。

もちろん、その存在は知っていたけれども
私とは別世界にあるものだった。

 

けれども昨年末から
なんだか能というワードがあちこちから聞こえてきて。

もともと
日本人特有の間(マ)の文化というか
その感覚についてとても興味があったので
それをもう少し研究したいな、っていうのがあったのだ。

 

能というものは
きっとその”間”を知るのに最適かもしれない、と興味をそそられ

能ラブ♡な方からのアツい語りにいざなわれて
あれよあれよと能の舞台を観に行くことにあいなった。

 

初めて観る能の世界。

 

音もなく
役者が橋掛かりという通路をゆっくりゆっくりと滑るように歩みをすすめる。

それはそれは厳かに。
何か神事が始まるかのようだった。

 

最初の演目は【翁】

 

どうやら翁は
能にして能にあらず、といわれ
天下泰平・国土安寧・五穀豊穣を寿ぎ
予祝する神事の芸能だと
後から知った。

 

舞台にしめ縄や大麻が飾られていたのにも
だからか!と合点がいった。

 

静かだけれども
演者の一挙手一投足に込められる集中のエネルギーと
そこから醸し出される拡散のエネルギーが
会場全体を包み込む。

 

一瞬一瞬を見逃さないように
息を潜めて舞台に集中するも
時空間が歪むのか
時々意識を失う。

 

傍から観たら眠っているようにみえるだろうが
なんというか・・・

バリ島でみたケチャダンスのように
トランスに入る感じなのだ。

脳波がシータ波になる感じ。
あながち間違ってはいないはずだ。

 

謳いは倍音で二重三重にも響き渡り
鼓や笛の音がそれに華を添える。

・・・と、思いきや
まるで各々がメインかのように
笛や小鼓、太鼓の音色と合いの手も
時に脇役、時に主役と入れ替わりながら奏でられる。

 

それらが相まって
静かに、でも確実に私の体の振動を呼び起こし
それらに共振共鳴していくのだ。
 

予習もせず行ったので
内容は全くわからなかったけれども
なんだか、とても気持ちがよく清々しい。
祓われた感じだ。

 

翁に続いて
舞囃子【胡蝶】
狂言【文蔵】
能【田村】

 

狂言は野村万作さんがシテ(主役)を演じられたが
とてもとても御年90歳には思えないほど
パワフルだった。

 

人間国宝とはこういうことなのか、という
言葉にはできないが腑に落ちたというか体でわかった感じがする。

 

観ていて面白かったのが
”間”に”魔”が潜んでいるのか
自分にこんなものが潜んでいたのか、という
潜在意識から湧き上がってきたものがあったり

 

演者によって(演目によってかも?)
丹田に響いて地に足ついたり
百会を抜けて天に抜ける感覚があったりと

頭で理解するよりも
体で受け取るものが多かった。

 

4時間弱の舞台が終わった後
一緒に観たメンバーと能について教えてもらう中で
   
思いの外、気づいたことや感じたものが
後から後から言葉として溢れ出て

 

初めて見た割には
案外いろいろなものを受け取っていたようだ。

 

なんだか、とてもいい経験をした。

 

2022年、私の世界に能楽が入ってきた。
これがこの後、どのように展開していくのかは…

 

まだ知る由もない。