平成最後の・・・

平成最後の・・・

 

週末は月に1度続けている写経をしてきました。

 

よく見ると
最初の方の字がかすれているのですが・・・

前回の写仏のときに
筆がもうそろそろ寿命を迎えるなぁと感じていたのですよね。

 

最初の一文字を書いてみたら
案の定・・・

 

最初に写経を教えてもらった時に
唯一のルールとして
一文字書くのに墨を付け足さない、というのがあって。

最初の”摩”の字が最期までかけるのか?とヒヤヒヤ。

 

それでもようやっとの思いで
一文字書き上げられて。

 

その時に初めて
筆について意識が向いたのでした。

 

筆は普段、何気なく使っている道具ではあるけれども
それがなかったら文字は書けないわけで。

 

そう考えると
ありがたいなぁと感謝が湧いてきました。

 

と、同時に
この筆は自身の役目をきっちり果たしているわけで
それは最期まで全うすべきだ。
私はその手伝いをしよう、と

 

この筆との共同作業を開始したのでした。

 

どのようにしたら
一文字をかすれずに書くことができるか。

 

どのようにしたら
細くなってしまっている筆先で
通常通りの文字が書けるか。

 

この筆が気持ち良いように
紙面を滑らせるにはどうしたらいいか・・・

 

 

こんなことを考えながら
一文字一文字を積み重ねていったのですね。

 

そのうち
なんだか涙が出てしまって。

 

筆を通して
自分の生き様や在り方を
考えさせられました。

 

筆は文字を紙に書くための役目がある。
では私の役目って何だろう?

 

筆は自分の役目のシゴトを全うしているが
私は自分を全うしているのだろうか?

 

またこんなことを思い出しました。

 

毎週、早朝から経営者が集まる勉強の中で

物はこれを生かす人に集まる

という教えがあるのですね。

 

物はこれを愛する人によって産み出され
これを大切にする人のために働き、
これを生かす人に集まってくる。
すべて生きているからである。

 

私は私のところにきている物を
生かしてあげられているだろうか、という自問にも繋がり

私のところにきたばかりに
本当の役目、価値を発揮できていないモノがあるんじゃなかろうか…
なんて思いにもなり。

そう思うと
生かすどころか
沢山使ってないものがあるなぁ、と。

そんな風に考えると
生かして使えるモノというのは
ごく僅かなのかもしれないですね。

 

今回、筆と共同作業をしながら
般若心経を書き上げたのですが

不思議なことに
後半になるにつれ、
筆がどんどん元気になっていったのですよ。

書けば書くほど、
その本来の力を発揮するような感覚。

 

あぁ、なるほど
やはりこの筆も生きているんだなぁと
教わった感じです。

 

意識を向けると
命が宿る。

 

そんな体験をさせてもらった時間でした。

 

↑ この筆は
写経の先生に鎌倉の長谷寺に納めていただき、その任を解かれます。

 

最期まで役目を果たしてくれて
ありがとう。

自然と感謝が湧き上がってきました。

 

そして気づけば平成最後の写経。

 

平成という時代にも

ありがとう。

 

 

 

 

 

好奇心と優しさを持って注意を向けること

 

週末、
SIYというプログラムを受けてきた。

SIY=サーチ・インサイド・ユアセルフ

 

Googleで生まれ
世界のビジネスリーダーが実践する
脳科学とマインドフルネスの能力開発メソッド。

 

能力開発は
私の大好物なので(笑)
紹介された時に一も二もなく参加決定。

 

2日間にわたり学んだのはこちら↓

・マインドフルネス
・自己認識
・自己管理
・モチベーション
・共感
・リーダーシップ

 

すべてにおいて実習があり
沢山のメソッドを体験させていただいた。

 

マインドフルネスという言葉は
ここ数年でよく耳にするようになったが

 

イマココに在る自分を感じ、気づくこと

 

こんな風に私は捉えている。
人は何も考えていないと
オートパイロット(自動操縦)で過ごしている。

 

それは歯磨きのようにあまりにも当たり前すぎて
そうなっていることにすら、気づかずにいることが多い。

 

この講座の中で
オートパイロットの特徴を次のように言語化していた。

 注意が過去か将来にいっている
 注意散漫
 反射的または批判的
 習慣的パターンや思い込みで動く

 

非常によくわかる。

 

人は”今”に生きているのに
思考(注意)は過去か未来に飛びがちだ。

 

起きてしまった過去に悩み
過去の記憶によって現状を判断し
過去にできた思い込みによって当たり前のように行動している。

 

これは人間が生存するために
長い間培ってきた能力の一つ。
脳は過去の記憶経験を引っ張り出すのがその機能の一つだから

 

今、起きていることを過去と結びつけて考えるのは
ある意味当然なのだけれども。

 

 

だからといって
過去と今は違うのだ。

 

だから、いつからだって変われるし
いつからだってクリエイトすることができる。

 

でもきっと
頭の中のおしゃべりはやまなくて

 

何かあったらその瞬間に
感情や思考、パターンが立ち上がって
何も考えずにその言動が表面化してしまう。

 

 

しかしながら
意識してみると

 

刺激と反応の間にはほんのわずかな隙間がある、というのだ。

 

なかなか難しいけれども
いつものパターンを変えたいならば
そのほんの僅かな隙間はとてもありがたいもの。

 

だって

 

この瞬間に、反応を選ぶ私達の自由と力がある。
私達の反応の中には成長と幸せがある。

 

というのだから。

 

マインドフルネスは
そのほんの僅かな時間を
見いだせる活路かもしれないな、と感じる。

 

 

2日間で学んだものは
とても盛り沢山で

 

瞑想やジャーナリング(紙とペンでただつらつらと書き続ける作業)
マインドフルリスニングやマインドフルイーティング、セルフコンパッション・・・etc.

 

色々な方法で
イマココを意識する方法を教わった。

 

自己認識から自己管理、そしてリーダーシップへ。

 

 

マインドフルネスとは
心、身体、そして周囲で
今の瞬間に起こっていることに
好奇心と優しさを持って注意を向けること

 

これを意識してイマココを生きたなら
3つの幸福感を味わえる人生になるにちがいない。

 

<幸福感の3つの人生> 

心地よく楽しい人生
強いを発揮できる人生
意義ある人生

byマーティン・セリグマン博士

 

そしてそれは自分のみならず
自分の周りの大切な人々にも
広がっていくことだろう。

 

一滴の水が
波紋を広げていくように。

 

 

 

 

 

 

完全に求めてました・・・。

 

前々から気になっていたことがあって。

 

何かのイベントにお誘いしたりすると
すぐに返事が返ってくる人もいるし
全く返事を返さない人もいる。

 

まぁね、
お誘いするのはこちらの勝手なので
YESかNOかは相手次第。

 

だから以前ブログにも書いたように
全然断っていただいていいのだけれど。

 

既読スルーになっている人って
どんな心理状況なんだろ?って思うのね。

 

*あ、ちなみに
興味あるって言ってたり
興味ありそうな方をお誘いしています。

 

あぁ、答えないことで答えてるんだなこの人は・・・って

 

そう頭で納得しようとはするのだけれど
一方でちょっと寂しく感じていたのです。

 

しかーし!

 

先日届いた師匠の
”コミュニティをつくって、自由に生きるという提案”という本の中に
「3つのくれない」を手放す、という文章があった。

 

 

3つのくれないとは

 

・返事をくれない
・見てくれない
・喜んでくれない

 

・・・・・。

 

ガビーンっ!

 

私、完全に求めちゃってたわー><

 

直接メッセージを送ったのだから
返事はくれるでしょ、って思い込んでたなー。

うん、期待してた(笑)

 

その本には

 

人は、誰かに何かを求める、ということをしてしまいがちです。

 

と、ある。

 

 

うーむ。
まだまだ修行が足らんのか?!

 

と、自分の中の思い込みを見てみると
面白いことがわかる。

 

返事が来ない=無視された=私には価値がない。

 

このパターンを思い込んでいたようだ。

 

もちろん、そんなことは勘違いなので
速攻整えたけれども。

 

人との関わり合いは
なかなかに奥が深い。

 

この本には

 

人と関わる時に必要な基本的なことから
仲間を増やし、ビジネスに発展することまで

 

コミュニティ(関わり)をつくる際に必要なヒントが
沢山書かれてあった。

 

私もいくつかコミュニティをつくっているが
本を読んでみると新発見や再確認ができ

新たなコミュニティを創りたいなぁという意欲が
ムクムクと湧き上がってきた。

 

まずはお茶会、しよっかな^^

 

 

 

 

 

何かあるかも、ね。

何かあるかも、ね。

 

最近、

ピン!と来た人を誘ったり
ピン!と来た人を繋いだり

 

そういうことがとても多い。

 

更には
集った人達の必要な情報を引き出したり
絶妙なタイミングでスケジュールをプロデュースすることも。

 

それぞれのお役目というものがあるとしたならば
私は何かと何かをつなぐ役割なのかもしれない。

 

 

そこにはエゴが働かない。
ただの直感。

 

けれども、だからこそ
必要なものがそれぞれにもたらされるのかもしれないな。

 

 

大抵の場合
あとからそれが証明される。

 

あぁ、だからこの人を誘ったのね。
あぁ、だからこのタイミングだったのね。
あぁ、だからこの情報を聴いてたのね。

 

ふむふむ。
自分がつないだことによって
こんな風に発展するんだなぁ。

 

と、一人観客席で
にんまりと眺めている。

 

それを仲人というのか
橋渡し役というのか
ディールメーカーというのか。

 

使いっ走りはやらされてる感があるけれども

 

私の場合、誰かに何かをやらされることはなく
自らピン!ときたことは
勝手にやってしまうので

 

もし、私から
いきなり誘われたとしたら
何かあるかも、しれません(笑)

 

 

なぜかはわからないが
魂レベルではわかっているんだな、きっと。

 

 

 

 

 

別れのトキ

 

 

実は最近、
とっても辛い別れがあった。

18年と4ヶ月。

こんなにも長い年月を
共に過ごすなんて最初は思ってもいなかったけれど

 

楽しい時も
辛くて涙する時も

ウキウキするような時間も
じっと考え事をする時間も

嬉しくて叫ぶ時も
怒りまくって叫ぶ時も

 

どんなシーンも一緒にいてくれた。

誰よりも
素の私を知っているのが彼だった。

 

彼の名はALTEZZA。
私の愛車、アル君。

 

感情を人前で出すことを良しとしていなかった頃

私の喜怒哀楽を素直に出せたのは
間違いなくアル君の中にいる時で

何かあると
ドライブに出かけたものだった。

 

運転していると

無心になる。
素直になる。
自分との対話ができる。
アイディアが湧く。

 

私にとっては最高の空間だったし
車という”物”ではなく、最高の相棒だった。

 

朝、車に乗り込む時に
「おはよう、アル君。今日も1日よろしくね。」

降りる時には
「今日もありがとうね。」

そんな風に挨拶をして。

 

10年も乗ると
次の車に買い換えようか、なんて考え出すと思うのだろうけど。

でも、私にはまったくその気がなかった。

 

出来る限り一緒にいたかったし
他の車に目移りすることもなかった。

飽きっぽい私だけど
この車だけはいつでも私を魅了してやまなかった。

 

点検や修理で代車に乗ることもあったけれど
全然テンションがあがらない。

早く帰ってこないかなぁと
寂しく駐車場を見るのだった。

 

戻ってきたら
そりゃー嬉しくて嬉しくて
すぐにドライブに行った。

 

洗車してピカピカになるとなんだか誇らしげで
私まで嬉しくなる。

いつしか
この車が命尽きるまで
私が乗りきろうって思うようになった。

 

 

一昨年の10月
いつもメンテナンスでお世話になっている
新井自動車の新井さんから

 

「今まで頑張ってきましたが
次の車検は通らないのでそろそろ次の車を考えておいてくださいね。」と言われた。

 

そっか。
あと2年か・・・。

 

頭では理解していたけれど
やっぱり次の車のことなんて考えなかった。

永遠に乗り続けられると思っていた。

 

今年に入ってようやく現実と向き合い

アル君に変わる車を探さないとな、と
頭の片隅で思い始めてはいたんだ。

でもまだ10ヶ月あるし・・・なんてのんびり構えていた。

お別れすることを想像すると、自然と涙が出ちゃうから
考えたくなかった、というのが本音だ。

 

いずれにしても
アル君は最後まで私一人が全うする。
そう、ココロに誓っていた。

 

 

1月18日。
突然、それは起こった。

追突事故に遭う。

 

トラックに追突され、
前の車に突っ込んだ。

 

何が起こったのか
理解するまでに少し。

 

そして
シートに座りながら一番最初に頭に浮かんだのは
アル君のことだった。

 

あぁ、アル君の命が消えていく・・・。

 

まさか
こんなカタチでお別れすることになるなんて。

 

 

事故に遭ってから
1ヶ月あまり。

ようやく、アル君に会いに行った。

あのままお別れするのは忍びない。
せめて最後の姿を見届けようと。

 

そして私が目撃したのは満身創痍の姿だった。

最大限に
身を挺して

彼が私を守ってくれたんだ、と感じた。

また、涙が出た。

 

私にとって最高の相棒だった彼は
最後の最後まで潔く、
そして本当にかっこよかった。

 

運転席に座ると
在りし日の思い出が頭を駆け巡る。

語り尽くせぬほどの思い出があって
それを思い出すと自然と涙が溢れてしまうのだけれど

 

素晴らしい時間を
共に過ごすことができて
今は感謝しかない。

 

アル君、ありがとう。
最高の時間を一緒に過ごせて幸せだった。

 

出逢いは何も人だけではない。

 

その出逢いが
こんなにも人生を豊かにしてくれるとは・・・。

そう思わせてくれたことに感謝します。

 

出逢ってくれて本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

薬膳鍋を食す。

 

 

薬膳、という考え方。

 

薬膳(やくぜん)とは
中医学理論に基づいて食材、中薬と組合せた料理であり、
栄養、効果、色、香り、味、形など全てが揃った食養生の方法である。
by wiki

 

カラダは食べたものでできている。

 

ただ
常日頃、栄養バランスとかカロリー、
体質に合わせて・・・と食事に気を配っているわけではないので

 

たまにはカラダにいいことをしよう!と
お友達の染谷ちえみちゃんの薬膳鍋の会に参加してきた。

 

 

今回は
便秘に効くデトックス鍋、というテーマだった。

 

中医学では体質には6つのタイプがあるそうだ。

気血/血虚/陰虚/気滞/瘀血/水滞

 

そして便秘にもタイプがあるらしい。

 

冷えによる便秘
熱による便秘
排泄の力がない便秘
水分(潤い)不足による便秘

 

ひとことで便秘、と言っても
タイプが違うから対処法もそれぞれ違う。

 

薬膳は
前述した通り
食べ物からカラダを元気に健康にする、という考え方。

 

今回は
多くの方に共通するカラダに潤い(水分)を与える食材を中心とした鍋だった。

 

 

今回の材料と効能

 

【デトックス・豆乳鍋】

白きくらげ 潤いを補う
黒きくらげ 血を補う
ほうれん草 養血(血を補い、陰を滋養する)
クコの実  滋養強壮 女性ホルモン
豆腐/豆乳  潤い 気を補う
味噌    カラダを温める 気のめぐりをよくする
ゴマ    養血滋陰(血を補い、陰を滋養する)
陳皮    理気(気のめぐりをよくする)
えのき茸  潤い
豚肉    陰を補い潤す 気を補い血を増やす

 

 

なるほどー。
食材って栄養だけでなく、
こんなに色々な効果効能があったのね!

 

寒いこの季節
鍋を食べる機会も多いから

 

食材をちょっと意識してみると
美味しいうえにさらにカラダに嬉しい食事になる。

 

薬膳、っていうと
なんだか難しい感じがしたけれど

 

鍋なら簡単♪

 

そして今回、
白キクラゲの食感がすごくよくて
美味しかった〜♪

 

翌朝のお肌の状態もぷるっぷる。

 

これはイイ!

 

これから鍋の具材に
白きくらげのヘビロテ決定です(笑)

 

 

鍋を囲んで団欒しながら
美味しく食べて健康になろう。

 

 

 

 

 

日本のシルクロードをくぐって行き着いた先は・・・

 

 

 

本日は60日に1度の周期で訪れる己巳の日(つちのとみのひ)

 

己巳の日は、
縁起の良い巳の日の中でもさらに縁起の良い弁財天の縁日であり、
弁財天に縁のある寺社では祭祀や供養が行われているため、
この日に参拝するといつもよりも御利益があると言われている。

 

そして蛇は弁財天の使い、または弁財天の化身だとする信仰があり
この日は特に財運、金運が上昇する日でもあるとのこと。

 

と、いうことで
今日は山名八幡宮にお参りに行ってきた。

 

今回、この場所を訪れたのは
私が密かに暦マスターと呼んでいるこの人の情報から。


↑ 一番目立ってる人ね^^

 

日本の歴史や御神事について教えていただき
いつもお世話になっとります!

 

で、
写真の線路は何かというと・・・

 

世界遺産に認定された群馬県富岡市製糸場にて作られた
世界に誇るシルクを運んだ線路、なのです。

*富岡製糸場は日本で最初に設置された国が経営する器械製糸工場

 

つまり、
日本のシルクロード。

 

輸出品として大きな割合を占めていたシルクは
まさに日本の財源となっていたというから

 

己巳の日にこのシルクロード(線路)をくぐって
弁財天様を参拝したならば
きっと良きことがあるに違いない♪

 

 

では早速・・・。

こんな感じで線路の下をくぐると・・・

 

山名八幡宮へ。

 

狛犬ちゃんにご挨拶してから階段をのぼると・・・

 

拝殿が。

 

凛々しい鳳凰の眼力。

 

立派な裏神様もいらっしゃる。

 

そして本日のメインの弁財天様にお参りして

 

全国的にも珍しい弁財天の御朱印をいただく。
(不覚にも御朱印帳を忘れた><)

 

この己巳の日付が入った御朱印が
かなり重要だと暦マスターが言ってました^^

 

 


↑ 八幡八幡宮御由緒

 

調べたら八幡宮って
大分県の宇佐神宮を総本社として
全国に44,000社もあるんだって!

 

すごいなぁ。

 

いつかは宇佐神宮に
ご縁する時がくるな、きっと^^

 

ちなみに
己巳の日は60日に1度、巡ってくる。

 

金運、財運、弁財天のご利益にあずかりたい方は
この日に参拝をどうぞ↓

 

4月7日/6月6日/8月5日/10月4日/12月3日

 

 

 

 

 

一週間前の出来事をあらためて振り返ってみると・・・

 

 

ガシャーン!
ドンっ!!

 

 

その瞬間、

 

キャー!!

とも

ワーっ!!

とも
わからない叫び声が出た。

 

気づけば
前の車が目の前に。
私の愛車がめり込んでいる。

 

おそるおそるバックミラーを見ると
トラックがうつっている。

 

一体、何事がおこったのか。

 

 

ドアをあけると
後ろのトラックの運転手がすぐに出てくる。

 

「大丈夫ですか?
すぐに警察を呼びますっ!」

 

相当焦っている運転手を見て
追突されたんだ、と認識する。

 

「怪我はありませんか?救急車を呼びますか?」

 

トラックの運転手に聞かれるも
外傷はないので、

 

「大丈夫です。」と答える。

 

前の車を運転していた女性も出て来る。

 

「大丈夫ですか?」と車から声をかけると

 

「私は大丈夫。あなたは?」と。
お互いの無事を確認し、少し安心する。

 

 

その瞬間は大したことはなかったが
どんどんカラダが重く感じてきた。

 

シートにぐったりと座り込み
ぼんやりと
起こったことを反芻していた。

 

断ったのだが
あまりにぐったりしている私を見て

 

念のため・・・と
その運転手の方が救急車をよんで
搬送される。

 

 

痛いところをレントゲン撮影し

 

骨には異常がないこと。

首の鞭打ちと
衝撃のショックで筋肉が緊張したせいでの筋肉痛、及び倦怠感があるくらいですんだ。

 

とは言っても
大学時代に追突されてむちうちの経験があったし
腰椎ヘルニアがあり、ぎっくり腰は得意技でもあったので、
翌日以降がとても心配だった。

 

案の定、
翌日以降は寝ても寝ても寝られる。
どれだけ眠れるんだ、と思うくらい眠った。

 

カラダが蘇生を全力でやっているのかもしれない。

 

 

事故に遭ったことは
事務的なことや
仕事や予定のキャンセルを伝えるべく
必要最低限の人にメールで連絡した。

 

 

連絡した人たちからは
その返信で

 

「大丈夫?」
「必要なことがあったらいつでも言ってね。」
「ゆっくり休んで。お大事に」

 

そんないたわりのメッセージをくれた。

 

元来、人に頼るとか甘えるということは
苦手だったし
心配かけたり、手を煩わせるということは極力したくない性分だ。

 

何かあって
騒ぎ立てたりするのは私らしくない。

 

だから
メールでのメッセージくらいが
ちょうどいい、と思った。

 

 

 

一方で。

この一週間、
ずっと考えていた。

 

もし、あの時
後ろから来たトラックのスピードがもっと早くて
前の車と完璧に挟まれていたらどうだっただろうか。

 

もし、あの時
当たりどころが悪くて
車に引火していたらどうだっただろうか。

 

もし、あの時・・・

 

 

そう考えると
鞭打ち程度で済んでよかった、と思うと同時に

 

一瞬先は何が起こるのかわからないのだ。

 

と、
時が経つにつれ
実感を伴うようになってきた。

 

 

だとしたら
やりたいことをやらずに死んでいいのか。

 

このまま死んで後悔することってないだろうか。

 

そんなことを
ずっと考えている。

 

 

 

 

今日は
昨年亡くなった尊敬できる方の一周忌の法要だった。

それに参加することはかなわなかった。

 

死に方は生き様と同じだな、と思った一年前。

 

その時に書いたBlogを読み返してみた。

 

私は本当にちっぽけで
日々の小さなできごとに
ついつい囚われてしまって

 

大切なことを忘れてしまってたことに気づく。

 

命は人生の時間そのものなんだ、ということ。

 

どのように過ごすのか。
誰と一緒に過ごすのか。
何を大切に生きていくのか。
何のために生きるのか。

 

そんなことをあらためて
思い出させるための事故だったのかもしれない。

 

 

 

実は事故に遭った当日、
私が死んでも
世界は何一つ変わらないんだなぁと思った。

 

何の影響もないんだ、と。

 

ネガティブを通り越して
少し自虐的になっていたのかもしれない。

 

 

 

でも

 

事故の現場に通りかかって
もしかして私なんじゃないか?って
心配でメッセージをくれた久しぶりの友人がいたり、

 

レッカーやら保険会社とのやりとりを当たり前のようにしてくれた
自動車屋の友人がいた。

 

 

事故二日後からは

 

甘いものを差し入れてくれたり

 

カラダも不自由で買い物にも行けないだろうと
運転手を名乗り出てくれた友人がいたり

 

宝石ヒーリングの方法を教えてくれた社長がいたり

 

たまたま来ていた友人が実際にJEWELLNESSで滞ったエネルギーを流してくれたり

 

病院に連れて行ってくれたり

 

ただ顔を見にきてくれたり

 

ケーキを焼いてきてくれたり・・・。

 

 

 

どうやらリアルな現実世界でも
私のことを放おっておかない友人達がいるんだってことがわかった。

 

その存在がありがたかった。

 

 

私という存在は
とってもちっぽけだけど。

 

微力だけど、
無力ではないんだよ。

 

そんなことを
教えてもらった気がする。

 

世界は私が思うよりも
もっと優しいのかもしれない。

 

私が創る私の宇宙、私の世界。

 

これをもう少し
掘り下げていきたいな、と思った。

 

いつだってクリエイトするのは
私自身なのだから。

 

 

 

これは忘れるのが得意な
私への備忘録。

 

 

 

 

 

特別な日には・・・

 

 

初めて
年の数だけの薔薇をプレゼントしてみた。

 

彼氏でもないのに(笑)

 

いつだって
誕生日は特別な1日だけれども

 

20代から30代へ
30代から40代へ
40代から50代へ・・・

 

節目のアニバーサリーは
やっぱり特別感がないとね♪

 

できれば当日に。
できれば直接。

 

ま、事前に伝えてなかったので
当日渡せる確証なんてなかったんだけれども。

 

運良く在宅だったので
無事にプレゼントすることができた^^

 

 

若い頃はノストラダムスの大予言を信じていたから(笑)

自分が40歳を迎えることの
イメージが全くつかなかったけれど

 

予言は外れ、

無事に1999年を迎えた時に
人生を考え始めた。

 

そして30代後半になり、

40歳になったら
次のステージに行く!って心に決めていたっけ。

 

2回めの成人式、40歳になった3月に
高校教諭は卒業。

 

新たな一歩を歩み始めて今に至る。

 

以来、

 

人生はなんて楽しいんだ♪
自分次第でどうにでもなるんだ!

 

って
公私共に変化し続けてきた。

 

うん、

VIVA!40代☆

 

って感じ^^

 

だから彼女にも

 

40代、楽しいよ♪
素晴らしい時間が待ってるよ。
ウェルカム!

 

 

って伝えたかったんだ。

 

 

薔薇だけの花束なんて
私の人生の中でも経験ないから
記念にパチリ☆

 

今回選んだのは
ライラッククラシックという
ちょっとシックな薔薇。

 

ゴージャス
かつ、エレガントで落ち着いた大人の雰囲気を。

 

これ、選んだ時
すごく幸せな気持ちになった。

 

プレゼントって
贈られるのがもちろん嬉しいけれど

 

誰かの笑顔を思い浮かべながら
プレゼントを選ぶ時間って
すごく嬉しく、しあわせを感じる。

 

誕生日ってやっぱり特別で。

 

その人が生まれてきてくれたからこそ
出逢えたんだよね。

 

こんなに沢山の人がいるのに
出逢えるって相当なキセキ!

 

そう考えると
私にとっても喜びの日、なのだと
家に帰ってから気づいた。

 

 

あらためて。

 

 

誕生日、おめでとう。
出逢ってくれて、ありがとう。

 

 

 

 

 

33回目にして初めての体験。

 

毎月、写経をしている。

 

今回で33回目だったから
回数は大分重ねてきた。

 

が、毎回毎回写経に向き合う自分の様子は違う。

 

最初の頃は
写経をやりながら
なぜか眠くて眠くて・・・。

 

途中、意識の意図を手放しながら
気づけばもう終盤になっている。
その間、一体誰が書いたのだろう?

 

半覚醒状態で書いていても
筆は止まらないんだから面白い現象だった。

 

もちろん、眠そうな字ではあるが
解読はできる程度には書いてある。

 

ある時は

一体、誰が書いたのだろう?

って思うくらい
1枚の書の中で字体が変わったこともあった。

 

私の中の過去世の誰かが書いたのか
あるいは
誰かが乗り移って書いたのか・・・^^;

 

書いている時に自覚するほど
モードチェンジしている時もあって

 

あ、今男性が書いてるな。
あ、今小さい女の子が書いてるな。

 

思い込み…

かもしれないが
なんとなくそういう感じがするのだ。

 

1番多いケースは
思考を巡らせながら書くこと。

 

目の前の文字を書きながら
頭の中では

 

仕事のことを考えたり
メールの返信のことを考えたり
来週の予定のことを考えたり

 

あの時、こういう風にすればよかった。
こう言えば伝わったかな、などと過去のことを考えたり。

 

つまりは

 

カラダはイマココの作業をしながら
アタマの中は過去や未来をいったりきたりしている状態。

 

無心になりたくて始めた写経なのに
全然、無になれない・・・^^;

 

 

それでも。
何度もやっているうちに

 

思考が浮かんできた時に
そのことについてずーっと考えてしまう(とらわれてしまう)パターンから

 

思考が浮かんでも
あっ!思考が浮かんでる!これは流そう、というパターンに変化し

 

その都度、仕切り直して
書に向かえるようになってきた。

 

 

それが今回、
初めて最初から最後まで
書に向かい続けることができたのだ。

 

思考が全くなく、
無心で書けたというのではなくて

 

なんというかその一文字一文字に
真剣勝負だった、というか。

 

”法”という字はなぜサンズイに去る、なんだろう。

”呪”という字は縛り付ける、という意味があるって
映画陰陽師で安倍晴明が言ってたなぁ。

”無”という概念っていつできたんだろう。
インドで数字の0が生まれた時より前のことだよなぁ。

”空”ってソラとクウ、カラって読むけど
日本人はなぜ、この文字をソラって読むようになったのだろう。

 

そもそも…
何もないところから
文字が生まれたってことがスゴイ!

 

等々、

 

漢字一文字一文字に
一つひとつ集中して書き上げた。

 

この感覚は初めてのことで
終わった時は
なんともいえない清々しい思いだった。

 

一文字入魂!!

 

楽しかった。

 

そうやって書き上がった写経は
実に平ら、なのだ。

 

墨の濃淡もなく、
一定の濃さで書き上げられているし

字体も最初から最後まで私が書いた文字だったし

 

何か一つの文字だけが妙に浮かび上がるってこともなく
裏側をみても
一つの滲みもない。

 

当たり前じゃない?って思うかもしれないけれど
過去の私の体験を見ても
私にとっては当たり前ではないこと、なのだ。

この写経は
先生が自分を整えられるよう、特殊な空間を創り出してくださっている特別なもので

 

写経セラピーという。

 

写経をしながら
1ヶ月溜め込んできた
自分の感情や外部的な影響、
自分以外のエネルギー等を流すのだ。

 

だからこそ、前述のように
毎回おもしろい現象がおこる。

 

ここ2回ほど
私のオーラの色が見えない、と言われていて^^;

 

確かに5月末からの2ヶ月以上
原因不明の咳に悩まされていたから
生命エネルギーが低下していたのだと納得がいく。

 

でも、
8月に入って九州巡礼の旅の最中に
ピタっと咳が止まった。

 

そして今回、
こんなに集中して書に向かいながら
エゴの私、ではなく
文字と交流しながら書いていたら
なんだか、とっても気持ちよくなってしまっていて。

 

ある意味、
文字とエネルギー循環していたかのようだった。

 

案の定、聞いてみると
今までにないオーラの色だったという。

 

深い深いエメラルドのようなグリーン。

 

それをきいて
ハートチャクラの色だ!と嬉しくなった。

 

アタマではなく
ココロで書けたのだ。

 

もっというと
顕在意識ではなく
潜在意識で書いた、というべきか。

 

最後の右為の場所には
自然と思い浮かんだ言葉を書いた。

 

”世界は一つ”

 

右為、の部分に
世界について書いたことも初めて。

 

ちょっと照れくさい感も否めないが
自然と自分の中から出てきたものだからそのまま書いた。

 

なんにせよ
33回目にしてはじめての体験。

 

まさにマインドフルネスを体感できたのが嬉しい。

 

↑ 晴れやかな気分で記念撮影☆

 

 

毎月、こうやって

 

同じことを続けていると
常に違う自分と出会う。

 

同じようでいて
同じではない。

二度と同じ書は書けないのだ。

 

自分が自分の宇宙を創っているのであれば

 

同じ”膜”の中で
浮かびあがる文字は

 

濃度密度が違う、私そのもの。

 

私はあなたで
あなたは私。

 

これは何も他人に対して、ってだけではない。

 

自分が書き上げる文字すらも、
私なんだ。

 

このことを妙に納得した出来事でもあった。

 

↑ 前後右端が教わっている先生。橋本親子

 

「男子三日会わざれば刮目して見よ。」という言葉にもあるように

 

人は1ヶ月も会わなければ
全然違う人間に成長しているのかもしれない。

 

それは自分自身であっても同じなんだな。