平成最後の・・・


 

週末は月に1度続けている写経をしてきました。

 

よく見ると
最初の方の字がかすれているのですが・・・

前回の写仏のときに
筆がもうそろそろ寿命を迎えるなぁと感じていたのですよね。

 

最初の一文字を書いてみたら
案の定・・・

 

最初に写経を教えてもらった時に
唯一のルールとして
一文字書くのに墨を付け足さない、というのがあって。

最初の”摩”の字が最期までかけるのか?とヒヤヒヤ。

 

それでもようやっとの思いで
一文字書き上げられて。

 

その時に初めて
筆について意識が向いたのでした。

 

筆は普段、何気なく使っている道具ではあるけれども
それがなかったら文字は書けないわけで。

 

そう考えると
ありがたいなぁと感謝が湧いてきました。

 

と、同時に
この筆は自身の役目をきっちり果たしているわけで
それは最期まで全うすべきだ。
私はその手伝いをしよう、と

 

この筆との共同作業を開始したのでした。

 

どのようにしたら
一文字をかすれずに書くことができるか。

 

どのようにしたら
細くなってしまっている筆先で
通常通りの文字が書けるか。

 

この筆が気持ち良いように
紙面を滑らせるにはどうしたらいいか・・・

 

 

こんなことを考えながら
一文字一文字を積み重ねていったのですね。

 

そのうち
なんだか涙が出てしまって。

 

筆を通して
自分の生き様や在り方を
考えさせられました。

 

筆は文字を紙に書くための役目がある。
では私の役目って何だろう?

 

筆は自分の役目のシゴトを全うしているが
私は自分を全うしているのだろうか?

 

またこんなことを思い出しました。

 

毎週、早朝から経営者が集まる勉強の中で

物はこれを生かす人に集まる

という教えがあるのですね。

 

物はこれを愛する人によって産み出され
これを大切にする人のために働き、
これを生かす人に集まってくる。
すべて生きているからである。

 

私は私のところにきている物を
生かしてあげられているだろうか、という自問にも繋がり

私のところにきたばかりに
本当の役目、価値を発揮できていないモノがあるんじゃなかろうか…
なんて思いにもなり。

そう思うと
生かすどころか
沢山使ってないものがあるなぁ、と。

そんな風に考えると
生かして使えるモノというのは
ごく僅かなのかもしれないですね。

 

今回、筆と共同作業をしながら
般若心経を書き上げたのですが

不思議なことに
後半になるにつれ、
筆がどんどん元気になっていったのですよ。

書けば書くほど、
その本来の力を発揮するような感覚。

 

あぁ、なるほど
やはりこの筆も生きているんだなぁと
教わった感じです。

 

意識を向けると
命が宿る。

 

そんな体験をさせてもらった時間でした。

 

↑ この筆は
写経の先生に鎌倉の長谷寺に納めていただき、その任を解かれます。

 

最期まで役目を果たしてくれて
ありがとう。

自然と感謝が湧き上がってきました。

 

そして気づけば平成最後の写経。

 

平成という時代にも

ありがとう。

 

 

 

 

 

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