Love Letter その2

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Love Letter その1
こちらを読んでから続きをどうぞ☆

さ〜もうスッキリしたし、
2016年に向けての目標設定かしらん?と思いきや・・・

「まだ落っことしてるものがあるね。もう一個あるよ。」
「丁寧に葬らなくちゃいけないもの。これは今生ね。」と一言。

そして、私自身も
思いあたることが見つかった。

どうして自分だけがそんなツライ思いをしなければならないの?という被害者的な思い。
もちろん、それを他の人に肩代わりしてもらうわけにもいかず、どうにもならないことはわかっているんだけど、でもその辛さをなんとかわかってほしいんだよ!という叫び。

それはたった一つの出来事から引き出された叫びだったが
思えば人生全体において、この叫び、思いが度々顔を出していた。

言ってもどうにもならないよね。
他人に聞かせるのも違うよね。
相談したって事態が好転するわけじゃないしね。
きっとわかってくれないよね。

だったら相談するのをやめよう。
相手に不快な思いをさせるくらいなら、黙っていよう。
人に迷惑をかけちゃいけない。
だって誰も私のことを分からないし、助けられないもん。
自分でなんとかするしかないじゃん。

こんな図式が浮かび上がった。

封じられた思い。

強気でいることが
どうにかこうにか、自分を立たせている唯一の杖だったし
鎧を着ていることでどうにかこうにか
私は進んで来られたのだ、と思う。

「あなたなら大丈夫よね」

この言葉も呪いのように私の鎧を厚くしていった。

「あなたなら大丈夫、でも私はダメなの。」
「あなたなら大丈夫だから!これをやって頂戴。」

私を強く仕立てあげることで
責任を私に転嫁する人たちの存在。

勿論、事実は違うだろうし、
そんな解釈をしたのは紛れもない私自身なのだけれど。

でも、
誰かに甘えたり
自分の弱さをみんなに見せることができる人ってのは
とっても強いな、って昔から思ってきた。
本心ではそうやって素直に誰かに甘えられる人がうらやましかった。

私にとって誰かに甘えること、頼ることは
自信のない私をどうにかこうにか立たせてきた杖や鎧を脱ぐことと等しく。
くずれないように、全力をかけて強がっていた自分がいたんだ。

丸裸の私はとってもちっぽけで
自分自身では立つこともできない、という思い込みと
そんなちっぽけな私を
みんなは受け入れられないだろう、という不安と不信。

本当はわかって欲しかった。
本当は全然大丈夫じゃなかった。
ちゃんと受け止めて欲しかった。
もっと助けて欲しかったし
声をかけてもらいたかった。

でもどこか
“繋がり“に対するあきらめがあったんだ。

この1年、自分に真正面から向き合ってきて
クリアリングしてきた中で

最後の最後、どうしてもぬけないピンの存在があることに気づいていた。

このピンが抜けたら・・・と常々思っていたのだけれど
とうとう見つかったみたいだ。

“ピン“とあえて小さく見積もろうとしていたもの。

どうやらそれは
呼吸を止めるほどの大きな大きな闇だった。

今まで一人で辛くて辛くて仕方なかった。
言いたくても言えなかった、封じてきた重く暗い闇。

でも、ようやく見つけることができた。
あとはそれを成仏させるだけだ。

そしてその設定はすでに入っている。

ここからは日常で
その闇を成仏させるできごとが起こるよ、とMさんは言った。

何が原因なのか
何が問題なのか

その“何“がみえたことで救われたような気がする。

そうだったんだ・・・。

自然と涙が出た。
涙が出た、ということは浄化に向かっているということなんだろうな。

ひとしきり泣いた後

確認のため、
再び“糸“を歌った。

全然、涙が出ない。
普通に歌えるじゃないか!!

自分の中に抱えていたどうしようもない孤独感と
イマイチ最後の最後、自分を信じきれないものはリンクしていて

人に対する諦め、というか
人間愛への不信が自分自身を信じられないに繋がっていた。

余韻に浸っていると
突然

「生ききりたい」

この言葉が
私のカラダから出てきた。

さっきの
「私は気持ちよく死にたい。やり残したことを全部やって気持よく死にたい。」に繋がる。

そう言えば、
2年前の年末にやったパッションテストで
一番優先度の高い宣言にこうあった。
「毎日、生きていると実感していること」
しかもその紙をずっとファイルに入れて持ち歩いていた、というのが笑える。

そう、私は今も昔も
自分の人生を生ききりたかったんだ。

私、という人間を生かし(活かし)きりたい。

そのままそれが私のテーマになった。

それをカラダに響かせると
丹田が熱くなった。

思考は嘘をつくが
カラダがその都度、軌道修正をしてくれる。

いつの間にか・・・固まっていた腸は柔らかくなっていた。
そしてMさんも
共感共鳴している部分のセッションだったらしく、
ズバリ!でピンポイント!だったようで
咳が止まらず、デトックスが進んでいる様子が垣間見えた。

私自身は
涙と鼻水で二人して全身全霊を使った、
本当に体力勝負な時間だった。

年末大晦日の夜。
部屋の大掃除をするかのごとく、魂・心の大デトックス祭りとなったセッション。
ちょっと早いお年玉をもらったかの如く様々なギフトが降りてきた時間だった。

これからは自分の人生を生ききることにフォーカスし
それを素直に実践していくこと。

これを全うしたら2016年以降の自分の人生がどうなっていくのか
楽しみだった。

早速小さな変化が起こり始めた。
正月に実家に帰り、自分の両親に対して優しくなっている自分に驚く。

普段、両親に対してかなり素っ気ない私だったが、
何かを“してあげたい!“という気持ちになったのは大きな変化だ。
私の内側の変化を感じ取ってるのか、彼らもなぜか…かなり優しい。
父親なんて普段滅多に話さないのに饒舌だった。
母親も私が自ら手伝うこともあってか、(普段は気を遣っている私に)色々と頼み事をしてきた。

内側を変えれば外側も変わる。
2015年中に実感したきたことが、ここでもまた証明された。

気の置けない親友にもセッションの様子を伝えた。
人を深いところで信じられないんだ、なんて
親友に言うのもどうかと思うけど
思い切って伝えてみた。
きっと私の人間不信を払拭するキーマンなのだと思うから。
受け入れたかどうかはわからないが、受け止めてくれた。
そのことで私の中の何かが解けたんだと思う。
心の中にあったかいものが溢れ出てきた。

誰も私を愛してくれないし、私も誰かを本当に信じきれない、
深いところで感じていた人間愛への不信は
少しずつ成仏しているのだと思う。
そしてこれからもそれをことあるごとに実感していくのだろうな。

頭で考えること
カラダで感じること。
どっちも必要なのだけれど
今年はカラダで感じることを意識していこう。
きっと
より自分自身に正直に生きられるんじゃないかな、とワクワクしている。

最後に。

2015年も終わろうとしている大晦日の、最後の最後に
Mさんのセッションを入れた過去の私に「よくやった!」とほめてあげたい。
自分が抜きたくても抜けなかった最後のピンにようやく辿り着いた気がするから。

もちろん、今現在すべてがクリアになったかというとそうではないけれども
少なくとも
ふとした時に感じる孤独感とか、
深いところでの自分への不信感というものが払拭できたのではないか、と期待している。

まだ数日しか経っていないけれど、自分を生ききる!と決めた2016年。
これからの自分がどんな変化を遂げるのか、何を引き寄せるのか、どんな人生をクリエイトしていくのか・・・。
楽しみでしかたない。

自分を生ききる、と
どんな現実が創られるのか。

私は私の未来に恋をしていきたいんだ。

Love Letter その1

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昨日、モニターセッションをさせていただいたお二人。

ものすごく濃く、深く
コアな部分にアプローチできた時間だった。

今まで嫌で見たくなくて
でも執着して大事に抱えてきたものを
しっかりと認めて、赦して、感謝して手放せた心の欠片。

私自身が
少し前にそれを体験していたからできたことであって
11月以前の私だったらきっと辿りつけなかった領域だと思う。

だからこそ
12月31日に起こったできごとをBlogに書こうと思ったんだ。
もしかしたらこれを必要としている人がいるかもしれないな、と。

自分では気づかなかった思い込みに気づいたり
それが外れたり、書き換えが起こるかもしれない。

この記事に偶然、いや必然で辿り着いたあなたへおくります。

【2015年12月31日におこった大デトックス】

12月。
なぜかネガティブワールドに嵌り込み、そんな自分にモヤモヤしていた。

いつもだったら
フォーカスを変えたり、解釈を変えたり、問題としてみないようにスルーしたり
違う行動したり・・・と
心地よい状態に転換できていたのだけれど。

でも、今回はものすごくネガネガちゃんから抜けられず
あまりのネガっぷりに
これはネガワールドにどっぷりつかってやろうじゃないか!って
肚をくくったんだよね。

で、こんな状態になった。

陰、極まりて一陽来復!

今読み返してみると
自分で予告した通りのことが実際におこってるんだよね、不思議なくらい。)

ネガネガワールドから浮上しつつある時、
MさんのFBの投稿がやたらと目に入ってきた。
普段、なかなか私のタイムラインには載ってこないのに
立て続けに見るということは
きっと何かのサインだろう、と
セッションを申しこむことにした。

初回限定60分だけじゃ足りないだろうと
本格100分のセッションを予約した。

なんとしてでも
2015年中にスッキリさせたかったんだ。

が!
その覚悟があったからなのか・・・

申し込み直後
セルフセッションして、自分の中である程度見るべき思い込みを発見し
冬至を過ぎた頃にはかなり好転していたので
果たしてセッションする必要あるのか?という状態だった。

どうしたものか・・・と思ったけれど
せっかく申し込んだのだから・・・とそのまま受けることに。

最初の60分セッションの時には見るべき思い込みはこれでよかったのか、
答え合わせをした感じで30分ですべて完了した。

かなりクリアになったので、100分セッションは必要あるのだろうか?と聞いたところ、
目標設定のエネルギーを定着させることにも使えるというので
2016年、生命力を爆発させる!というセッションをお願いすることにした。

翌日。
面白いことがおこった。

腸もみというものをちょっぴり(初めて)体験したのだが
腸をほぐされている時に
悲しくもなんともないのに涙がとめどなく溢れてきた。

なんで?と聞くと、

腸のその部分のコリは
ずっとガマンしてきた辛さや悲しみ、悔しさ、我慢等が溜め込まれている場所なんだという。

12月から始まったネガな自分と向き合わされてきた一連の流れは、
どうやら自分でも気づかないうちに溜め込んでいたものを発見し、
解放するためのものだったのらしい。

しかも今回の人生だけではない、相当根深いものである、ということを

その時にはもちろん、知る由もなかった。

12月31日大晦日。
この日の午後は
お二人のお客様にバーズ&コンサルセッションをさせていただいてき
エネルギーが十二分に回っている状態だった。

セッション直前、なにげなくFacebookをあけたら
Mさんの投稿に、
30年来のデトックスが起こり、崩壊した、という記事があがっていた。

そんなキツイ状態でセッションは身が持つのだろうか?と心配していたのだが、
どうやら本人の状態とセッションは別物だ、ということらしいので予定通りセッションを開始。

今回の100分は「自分を生かし、生命力を爆発させる!」というのがテーマで
セッションをお願いしてあった。

15時まで別のクライアントのテーマが「人生なかったことにしたい!」というのだから、
流れってのは本当に面白い!

で、
生かしきるためにはまず、スッキリしてから・・・というので
私自身の中にあるであろう、
「なかったことにしたい」というものを徹底的に洗い出してから
自分を生かしきる!というセッションにしよう、と流れが決まった。

私自身はなかったことにしたい!にヒットすることはなかったので、
2016年に持ち越したくない思いは何か?という問いからSTARTした。

これもまた、少し思い悩んだが、
「人に対して言いたいことを言えない自分がいるのを持ち越したくない!」ということがヒット。
その奥には平穏無事に過ごしたい、という本音が隠されており、
さらにその奥には人を信じられないという人間愛への不信が巣食っていた。

「何か・・・歌があるというのだけれど
言いたいけど言えない、というのでヒットする曲は何?」と聞かれた。
「歌?ん〜〜〜。」

ふと、思い浮かんだのが中島みゆきの”糸”

この曲は聞いているだけでもなぜか毎回涙が出ちゃう歌だった。
しかもボイストレーニングを2015年の前半に受けていたのだけれど、
その時に練習用で選んでいた曲でもあった。そして毎回泣いて歌えなかったのを思い出した。
なぜ、泣いちゃうのかその時は理由がわからなかったのだけれど。

You Tubeで検索するも中島みゆきオリジナルのものはなく、結果歌うことになった。
(セッションで歌うたうなんて・・・初めてだった。)

しかも腸に手をあてて(腸もみの時に自然と涙が出た場所)、
そのエネルギーをそこめがけて当てていく、という。
そんなこと、できるのか?と思いながら脳内で歌い、手を当てていると…
カラダがアツクなってきた。

Mさんが歌い出した。彼女も涙を流していた。
ズバリ、今リアルタイムで同じものを抱え、共感共鳴しているという証拠だった。

自然と・・・
私も一緒に歌っていた。涙が出てしかたなかった。

断腸の思い、という言葉があるが
もしかしたら悲しみで裂けてしまった腸を
“糸“で縫い合わせるための歌なのかもしれないな、と歌う途中で思った。

前世からの持ち越しの思いがそこに浮き彫りになった。
無かったことにはしないし、無かった振りをするのもなし!なんだと
その辛さ・寂しさ・悲しさ・我慢・・・想いをしっかりと受け止める時間だった。

歌詞を見るとその理由がわかった。
前世、なんらかの理由で添い遂げられないツライ想いがあったのだろう。

縦の糸はあなた
横の糸はわたし
逢うべき人に
出逢えることを
人は仕合せとよびます

この部分は特に痛かった。
逢うべきその人を
今生での再会を待ち望んでいるのかもしれないし、
今も探し続けているのかもしれない。

この想いを終わらせないと、次はないな、ということで
深いところ、心の奥の奥の柔らかい部分に刺さっていた棘を発見し、
思う存分泣いて、寄り添って、肯定して、成仏させた。

涙と鼻水でティッシュが何枚も消えていった。
嘆きの深さを知り
かなり・・・痛かった。

数日前の300分セッションのクライアントさんが何度も言ってくれたフレーズを紹介してくれた。

「私は気持ちよく死にたい。やり残したことを全部やって気持よく死にたい。」

この言葉は私にもMさんにもズバリ!ピンポイントのワードだった。

歌詞の持つ意味、いや歌詞に投影している自分の封印していた思いというものを
カラダ全体に行き渡らせ、味わった。
長い長い時間と空間を超え、蘇った思いをゆっくりと味わい尽くした。

そして
“糸“を歌った。
今度はサビもちゃんと歌えるようになった。

過去世で持ち越してきた感情・カルマを解決できた瞬間だった。

さ〜もうスッキリしたし、
2016年に向けての目標設定かしらん?と思いきや・・・

「まだ落っことしてるものがあるね。もう一個あるよ。」

まだあるんですかっ!?

続く・・・。