33回目にして初めての体験。


 

毎月、写経をしている。

 

今回で33回目だったから
回数は大分重ねてきた。

 

が、毎回毎回写経に向き合う自分の様子は違う。

 

最初の頃は
写経をやりながら
なぜか眠くて眠くて・・・。

 

途中、意識の意図を手放しながら
気づけばもう終盤になっている。
その間、一体誰が書いたのだろう?

 

半覚醒状態で書いていても
筆は止まらないんだから面白い現象だった。

 

もちろん、眠そうな字ではあるが
解読はできる程度には書いてある。

 

ある時は

一体、誰が書いたのだろう?

って思うくらい
1枚の書の中で字体が変わったこともあった。

 

私の中の過去世の誰かが書いたのか
あるいは
誰かが乗り移って書いたのか・・・^^;

 

書いている時に自覚するほど
モードチェンジしている時もあって

 

あ、今男性が書いてるな。
あ、今小さい女の子が書いてるな。

 

思い込み…

かもしれないが
なんとなくそういう感じがするのだ。

 

1番多いケースは
思考を巡らせながら書くこと。

 

目の前の文字を書きながら
頭の中では

 

仕事のことを考えたり
メールの返信のことを考えたり
来週の予定のことを考えたり

 

あの時、こういう風にすればよかった。
こう言えば伝わったかな、などと過去のことを考えたり。

 

つまりは

 

カラダはイマココの作業をしながら
アタマの中は過去や未来をいったりきたりしている状態。

 

無心になりたくて始めた写経なのに
全然、無になれない・・・^^;

 

 

それでも。
何度もやっているうちに

 

思考が浮かんできた時に
そのことについてずーっと考えてしまう(とらわれてしまう)パターンから

 

思考が浮かんでも
あっ!思考が浮かんでる!これは流そう、というパターンに変化し

 

その都度、仕切り直して
書に向かえるようになってきた。

 

 

それが今回、
初めて最初から最後まで
書に向かい続けることができたのだ。

 

思考が全くなく、
無心で書けたというのではなくて

 

なんというかその一文字一文字に
真剣勝負だった、というか。

 

”法”という字はなぜサンズイに去る、なんだろう。

”呪”という字は縛り付ける、という意味があるって
映画陰陽師で安倍晴明が言ってたなぁ。

”無”という概念っていつできたんだろう。
インドで数字の0が生まれた時より前のことだよなぁ。

”空”ってソラとクウ、カラって読むけど
日本人はなぜ、この文字をソラって読むようになったのだろう。

 

そもそも…
何もないところから
文字が生まれたってことがスゴイ!

 

等々、

 

漢字一文字一文字に
一つひとつ集中して書き上げた。

 

この感覚は初めてのことで
終わった時は
なんともいえない清々しい思いだった。

 

一文字入魂!!

 

楽しかった。

 

そうやって書き上がった写経は
実に平ら、なのだ。

 

墨の濃淡もなく、
一定の濃さで書き上げられているし

字体も最初から最後まで私が書いた文字だったし

 

何か一つの文字だけが妙に浮かび上がるってこともなく
裏側をみても
一つの滲みもない。

 

当たり前じゃない?って思うかもしれないけれど
過去の私の体験を見ても
私にとっては当たり前ではないこと、なのだ。

この写経は
先生が自分を整えられるよう、特殊な空間を創り出してくださっている特別なもので

 

写経セラピーという。

 

写経をしながら
1ヶ月溜め込んできた
自分の感情や外部的な影響、
自分以外のエネルギー等を流すのだ。

 

だからこそ、前述のように
毎回おもしろい現象がおこる。

 

ここ2回ほど
私のオーラの色が見えない、と言われていて^^;

 

確かに5月末からの2ヶ月以上
原因不明の咳に悩まされていたから
生命エネルギーが低下していたのだと納得がいく。

 

でも、
8月に入って九州巡礼の旅の最中に
ピタっと咳が止まった。

 

そして今回、
こんなに集中して書に向かいながら
エゴの私、ではなく
文字と交流しながら書いていたら
なんだか、とっても気持ちよくなってしまっていて。

 

ある意味、
文字とエネルギー循環していたかのようだった。

 

案の定、聞いてみると
今までにないオーラの色だったという。

 

深い深いエメラルドのようなグリーン。

 

それをきいて
ハートチャクラの色だ!と嬉しくなった。

 

アタマではなく
ココロで書けたのだ。

 

もっというと
顕在意識ではなく
潜在意識で書いた、というべきか。

 

最後の右為の場所には
自然と思い浮かんだ言葉を書いた。

 

”世界は一つ”

 

右為、の部分に
世界について書いたことも初めて。

 

ちょっと照れくさい感も否めないが
自然と自分の中から出てきたものだからそのまま書いた。

 

なんにせよ
33回目にしてはじめての体験。

 

まさにマインドフルネスを体感できたのが嬉しい。

 

↑ 晴れやかな気分で記念撮影☆

 

 

毎月、こうやって

 

同じことを続けていると
常に違う自分と出会う。

 

同じようでいて
同じではない。

二度と同じ書は書けないのだ。

 

自分が自分の宇宙を創っているのであれば

 

同じ”膜”の中で
浮かびあがる文字は

 

濃度密度が違う、私そのもの。

 

私はあなたで
あなたは私。

 

これは何も他人に対して、ってだけではない。

 

自分が書き上げる文字すらも、
私なんだ。

 

このことを妙に納得した出来事でもあった。

 

↑ 前後右端が教わっている先生。橋本親子

 

「男子三日会わざれば刮目して見よ。」という言葉にもあるように

 

人は1ヶ月も会わなければ
全然違う人間に成長しているのかもしれない。

 

それは自分自身であっても同じなんだな。

 

 

 

 

 

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